こんにちは!
東京アプリケーションシステムのT.Kです。
太陽様が見える時間も長くなっている気がして、気温も高まっているのかと感じているこの頃です。
今回のブログで語ろうとしているのは自分の声のことです。
声は声を出す際には肺からでた空気が後頭部を通す際に発生する振動で出来ています。
その振動は声道って呼ばれる道を通過しながら変われて唇からそのまま放出されます。
声道っというのは声帯の上部から舌の空間を通って唇までをいいます。
個人の声の差は声帯の形と声道の長さによって違います。普通声帯が薄くって声道が短い方は声が高くて
逆であれば声が低くなります。男性の方が女性より比較的に声が低いのはこれが原因です。
そこで私たちは自分の録音された声を聴いたらよく驚きます。
自分が思っている声とは結構異なっているからですよね。
これは「voice confrontation」といって学術用語もあるほど一般的な現象なんですが、
このような現象を感じるのは何故でしょうか?
一般的には自分の声を聴く際には空気を通して耳で伝わる音波と骨を通して伝わる音波、両方を聞くためだと
いわれています。
骨の振動は音では伝わらない低音を出します。そのため録音されている自分の声は音でしか伝わらないので
実際感じている自分の声と違うと感じ、普段思った声より高く感じるため不満を持つことが多いです。
しかし、ある研究によれば高い声が嫌われるわけではありません。
自分の音声を録音した音声をしらない人に自分の録音した音声を含めていろんな音声を聞かせた後に
点数を付けてみたら、自分の録音された声に高い点数を付けた人が多かったそうです。
つまり、自分の声が思っていたより高かったため不満を持っただけです。
自分が今まで信じていたもの、当たり前なことだと思ったことがひっくり返される瞬間は大体愉快ではない
はずです。しかし、他の人が聞いている自分の声は今不満をもっている声であって、自分が思っている声ではありません。
今まで思っていた自分の声が実は違うと分かったとしても結局それで周りが変わることはないってことです。
他人を気にしすぎる人がいます。私がそうです。しかし、自分の声のように他人は気にしないことを私だけ気にしすぎて余計にストレスを受けていたり。
コミュニケーションや対人関係に悪影響を起こしているのが一つや二つはあったりしませんか?
ここでは言わないですが、個人的にはそういうのがあるって最近気付くことが出来ました。
他人に気を付けるのは決して悪いことではありません。しかし、必要以上に気にするのは自分によくないかもしれません。